テントウムシは夢を見たい

いつも、ドキドキ・ワクワクを夢見ている、30代男の日常記

部活の思い出⑤

厳しいけど、華々しい小学校時代

そんなわけで、厳しい地元の剣道少年団に入った私。

最初の試合で優勝しちゃったものだから、

それなりに有頂天になっていたのですが、

それも長く続かないのでした。

 

ライバルがたくさん現れるわけです。

しかし、そのライバルは、ほぼ全員、自分の少年団の友達でした。

つまり、レギュラー争いが激しいということです。

 

その頃、試合といえば、地元周囲の市町村単位の試合でした。

そうなると、団体戦などでは、ライバルと組んで出るわけで、

正直、地元周囲でやる試合は、ほとんど負けなしでした。

それと同時に、試合に選ばれて出場して、負けようものなら、

次回の試合は出れないという状態でした。

 

さらに、練習は厳しいもので、

本当に、勝つために、ひたすら鍛えられたように思います。

 

特に一番びっくりしたのは、

ある大会に遠征に行って、(遠征といっても片道3時間程度でしょうか)

結果、団体戦で2位になりました。

優勝を逃したものの、2位というだけで十分な成績だと思いますが、

当時は、優勝を逃しただけで、みんな大泣きし、

先生は、帰って練習だ!と言い出しました。

往復6時間の移動だけでなく、

勝戦に行くまで、多数の試合をこなしたのに、

帰ってきてから、反省の練習という鬼の所業。

今考えただけで、ちょっとおかしいと思うレベルですね。

 

でも、そんな厳しい集団ではありましたが、

ある意味、結果が伴っているので、

とても、楽しく続けることが出来ていました。

 

 

中高の暗黒期

その後、中学受験をして、私立中学へ進学した私。

大した理由はなく、経験者だからという理由で、

剣道を続けることになりました。

 

しかし、ここで、初めて剣道に嫌気がさします。

 

何があったかと言うと、試合に勝てなくなります。

これは、もちろん、自分の実力が足りないのが大きいのですが、

中学に上がってから、以前なら評価されていた打ち込みが、

「1本」にならなくなりました。

何度やっても、旗が上がりません。

 

この理由としては、

一つは、小学生と中学生では基準が違うということ。

小学生で許されていた打つべきタイミングが、

中学ではダメになっていたのです。

これは、誰も教えてくれませんでした。

顧問の先生も小学生の剣道を知らないからでしょうが、

私は訳も分からず、ずっと同じことを繰り返していました。

 

もう一つは、「進学校はスポーツで強いわけがない」という先入観。

これは、審判が、色眼鏡で見てしまっているということです。

自分の打ちは全然旗が上がらないのに、

相手の打ちは不十分なのに旗が上がるという状態です。

正直、そんなことがあったかは疑問ですが、

当時の私は、そう思ってしまうわけです。

もちろん、これは偏った意見かもしれませんが、

なかなか結果の出ない私は、そう結論を下していました。

 

そんな感じで、小学生に比べて、

全くと言っていいほど、結果の出ない中高時代を過ごすこととなりました。

 

つづく、、、